バリ島とサステナビリティ④ 〜歴史的背景
バリ島の宗教と生活文化がミックスされた個性的な世界観が今こうして残っているのは
インドネシアが19世紀末にオランダの植民地になっていたという歴史がとても大きく関わっています。
ヨーロッパの”列強”と言われた国々が世界を支配しようと植民地支配をしていく中での出来事の一つなんです。
ちょうどその頃バリ島は大地震、インフルエンザの大流行等で大変混乱していて
その原因を神の怒りと考えたバリ島民は、怒りを鎮めるため宗教的な儀式や踊りなどたくさん行いました。
それを伝統的な文化と捉えたオランダは異文化が徐々に入りつつある文化の保護を復興とともに買って出たわけです。
そりゃ、目の前であんな踊りや音楽を見てしまったら、異文化の私たち特に西洋人はエキゾチックすぎて鼻血ブーでしょうね。
その後、植民地博覧会でオランダの目玉として紹介されたバリ島は世界中の旅行者の憧れとなっていきます。
また西洋文化に強い興味があったウブド王家ラコー・スカワティーが招いた
ドイツ人の画家/音楽家のヴォルター・シュピース
カナダの音楽研究家コリン・マクフィーなどにより
バリ舞踊やガムランなどの音楽、絵画が西洋人目線で「バリ島らしく」洗練されていきました。
これは「バリ・ルネッサンス」と呼ばれています。
それにメキシコ人でニューヨークで大成功したイラストレーター/画家のミゲル・コバルビアスは
エキゾチックさ、オリエンタリズムに掻き立てられ、バリ島旅行後に執筆した本「バリ島」が大ヒット。
バリ島はますますフィーバーしていきます。
バリ島民もこのフィーバーに乗って、この西洋目線で「旅行者にウケる」土産物を沢山作り今見られている文化として定着していったという具合でしょう。
ですから、今私たちがバリ島で「うわぁ〜、バリっぽい!」
と感激するもののほとんどは、もともとあったモノではありますが、この時期に再構築された文化というワケ。
またバリ島含めインドネシアをオランダ軍が去った後
1942年から日本が統治し独立を促した歴史があります。
その後再び 攻め入ったオランダ軍と残留日本兵も共に戦ったんだそうです。
他の国を占領するなんて理由がどうであれ褒められたものではありませんが
日本人は運良く比較的友好に受け入れて頂いてるようです。
次回はこの回ラスト。